リーダーのいない世界になったら、私たちは今よりもっと豊かになれる
nengororinblog
ゆるり、ねんごろRIN
生きづらい世の中だなぁという感覚は昔からなんとなくあった。でもとくにそれ以上考えたことはなかった。人生ツラいのはあたりまえ、大変なのは私だけじゃない。人は度重なる苦難を乗り越え幸せを見つけてゆくものだから・・そう自分に言い聞かせ、なんの疑いもなくうかうかと人生の半分を生きてきたのだ。
そんなうかうか者でさえ、さすがに違和感を感じざるをえない出来事が突如発生した。あのウイルス騒ぎである。とはいっても初期のころは恐怖でいっぱいだった。口だけカバーしても意味がないからとゴーグル的なものを買ったり、もういっそ全身覆える黒装束みたいなやつがいいかもなどと真剣に考えたりしていたくらいだ。
この違和感はなんなのか。いったい世の中どうなっているのか。そういう感覚を頼りに情報を集めてゆくうち、私はさまざまなことを知っていったのである。まずこの騒動が仕組まれたものだったこと。そしてこれまでの出来事や現在起こっていること。さらにそれらがこの先の未来にどうつながってゆくのかなど。
何を真実とするかは人それぞれ。しかしこれだけは確かだ。たくさんの情報の中から真実を選ぶとき、自身の感覚がカギになるということ。見聞きする情報が〝己の腑に落ちるかどうか〟である。なにバカなことをと後ろ指さされても、私はこの違和感だらけの社会より自分自身の感覚を信じて生きてゆくことにしたのである。