自分の感覚を信じる。この生きづらい社会から離れるために必要なこと
nengororinblog
ゆるり、ねんごろRIN
嫌悪感を抱くのは私だけじゃないだろう。連日朝から晩までくり返し回ってくる選挙カーから流れるあの音に。「誰がリーダーになったって変わらない」なぜか子どものころからそう思っていた私は、昔一度だけしぶしぶ父についていったきりその後投票所へ足を運んだことはない。
子どもながらもわかっていたのだ。テレビから流れてくる不景気なニュース、仕事が大変そうでいつも疲れていた父と母。毎度選挙で誰が選ばれようが私たちの生活は苦しいまま。国のリーダーって何をしてるんだろう、ちゃんと国民のことを考えてたらこうはならないよね、なんて思ったりしていた。
選挙に立候補できるのは力のある人たちだけで、無論彼らとその周りに有利な政治をしていくことになる。抗議したところで〝みんなの多数決で決めた人だから〟となって我慢するほか道はない。庶民も政治に関われるかと思いきや、ただ力のある人にとって都合のいいシステムだったというわけである。
リーダーがいないと困るのは、はたして庶民のほうなのか。たくさん仕事してたくさん納税して、それでもますます生活は厳しくなる一方だ。もう必要ないんじゃないだろうか。みんなで集めたものを誰かが分けることも、力のある人に従うことも。リーダーなんていなくとも、私たちは互いに手を取り合うことができるのだから。